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翠葉の森 Suiha forest

西式甲田療法、日々感じることを綴っています

世界中がアイラブユー

1996年ウッディ・アレンの作品だ。

映画ファンにはたまらない豪華俳優陣に驚いた。ドリューバリモア、ジュリア・ロバーツナタリー・ポートマン、監督しているウッディ・アレン本人も出演してる。

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この劇中ではいつも誰かが「恋」をしてる。

とってもシンプルだけど、忘れていたトキメキを思い起こさせる。あ、、、恋をしたいな。また恋をしてみたいな?と思わせる。

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今朝は、ダイナースクラブの会員向けの冊子が届いた。そこには「聖木曜日」と最後の晩餐の絵が挿絵にあった。

イエス・キリストが磔にされる前日が木曜日なのだ。その日に12人の弟子の足を洗う。聖なる木曜日は「洗足木曜日」とも言われる。

 

これは偶然なのだろうか?毎週木曜日に週一回の断食をしていて今日は120回目。

12人の弟子と120という数字。「12」という数字からメッセージも読み取れるようだ。

 

さて

「足を洗う」というのは比喩的に何処からから脱する時にも使う。

 

【足を洗うの語源・由来】 裸足で修行に歩いた僧は寺に帰り、泥足を洗うことで俗界の煩悩を洗い清めて仏業に入ったことから、悪い行いをやめる意味で用いられるようになった。 その意味が転じ、現代では悪業・正業に関係なく、職業をやめる意でも使われるようになった。

 

キリスト教でも仏教でも使われるというのは古今東西、共通の意味というのも興味深い。

 

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また

映画の話に戻る。

 

「聖なる木曜日」と「最後の晩餐」と、、、

 

この映画で

 

「過去から足を洗おう」という

セリフがあってびっくりしたのだ。

 

それと舞台はニューヨーク、パリやヴェニスだ。「最後の晩餐」で有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの壁画はそのイタリアにあり、バチカン市国もある。とてもキリスト教と縁深いところだ。そして、私が新婚旅行で訪れた国だ。

 

映画の感想というよりも、まるで、私の過去の総ざらいと、過去から足を洗うことを、一つ一つ思うようなフレーズや場面がたびたび重なる。

 

「恋」というキーワード。

そして、柔軟な恋愛や結婚観をこの映画を通して垣間見たような感覚が残る。

 

どんなにか?無意識に縛られているのだろうかと?「人生を楽しまないと!」と、何度も何度も囁かれているような気がする。

 

ずっと身体を治すことにひた走ってきたけど、そろそろ?楽しんでも良いのではないかな?もう?コツは掴んだでしょ?怖がることもないのだよ?と言われているような気がした。

 

例えばだ。

よもぎ蒸しを5回行くのなら、それを4回にして一回は新作の映画を観に行くのはどうだろうか?もしくは恵比寿や渋谷などで単館上映されているような質の良い作品を観る。

 

心を温かく楽しくする事にもっと時間とお金をシフトさせたらどうだろう。そんなことを思えるようになったのは、本当に身体が治ってきた兆しかもしれない。何かはわからないけれど、自分の身体を信じ初めているのかな?もう無茶はしないんじゃないか?と思えるようになった。

 

私は小さい頃から布団の中で過ごすことが多くて、絵本や漫画や雑誌など、布団の中でも想像を拡げるようなチャンスがあった。今は手元で映画が観られるようになって益々にそれが加速しているように感じる。

 

不可能はない。

自分が自分を幸せにすると決めれば無限大だ。

 

こんな言葉を紡ぎ出せるような作品に出逢えて今日も幸せだ。